ボク、"しろくま"が発起人となってスタートした「24時間映画祭」は、おかげさまで2006年東京大会を皮切りに、日本全国各地の皆さんとプレ開催を含めて計7回開催することができました。
2008年8月、北九州大会の時には、
「ウ〜ン、ただでさえ暑いこの季節に、こんな暑い街のみんなと24時間戦い続けるなんて!!(笑)でも北九州のみんな、アツいなぁ!盛り上がってるなぁ!!ヨォシ、これからもっともっと色んな街のみんなと、もっともっと盛り上がっていくぞぉ!!!」
と、強く心に決めました。
でも、残念ながらボク自身が「24時間映画祭」に参加したのは、これが最後となってしまいました・・・。
2008年11月宝塚大会の時、ボク"しろくま"は病院のベッドの上だったのです。
病名は肺がん。医者から「余命1年」と宣告され、驚きながらも病と闘い 生還する気満々で、「よし、次は東京大会だよなぁ〜!」と映画祭立ち上げの時からのスタッフでもあるパートナー"らいらい"(和久井)と、アツく語り合っていたのですが・・・
2008年末の冬。ボク"しろくま"は、永遠に目覚める事のない冬眠についたのでした。
残された"らいらい"始めスタッフ達はショックに打ちのめされながらも必死に、ボクがいなくなっても映画祭を続けて行こう・・・そう思いながらも、ボク"しろくま"と一緒に冬眠についてしまったようでした。
そして宝塚大会から1年半ほど経った2010年のある日。久しく更新の止まっていた24時間映画祭ホームページに、とある地域の方から一通のメールが届きます。
「24時間映画祭をやってみたいのですが、どうすればいいですか?」
その時、失意のどん底にいたボクのパートナー"らいらい"は、ふと思い出しました。
|
 |
ボク"しろくま"が永い冬眠についた時、集まってくれた映画祭のスタッフや参加者のみんなと笑顔で交わしてた約束。
「また24時間映画祭やるよ!一緒にやるよ!」という言葉を。
でも、"らいらい"独りでは、何も出来ません。何よりまだ失意から立ち上がる力も十分ではありません。それでも彼女は ボク"しろくま"がこの「24時間映画祭」を通してやりたかった事・・・
『映画をつくることそのものを心から楽しみ、映画を愛し、関わってくれたスタッフ、参加者、観客と共にその喜びを分かち合い、笑顔になる!』
を、いま一度実現するため、かつての仲間たちに声をかけ始めてくれたのです。
すると1人、また1人と、まるで初めて映画祭を立ち上げた時のように、強い想いを心に秘めた仲間達が"ちびしろくま"のもとに集結してくれたのです。
そして、スタッフ、これまでの参加者、みんなが「待ってたよ」「この日が来るのを信じていたよ!」と言う言葉を"らいらい"にかけてくれました。
発起人であったボク"しろくま"の今の気持ちは、こうです・・・
「この世から自分が消えてなくなることよりも、この映画祭を通してつながったみんなとの『出会い』が忘れ去られ、消えていってしまうことの方が、何倍も辛くて悔しい。だから"らいらい"よ、もう一度立ち上がってくれ!そしてみんなを映画の力で笑顔にしてくれ!! だいたい、俺の婚約者だってんなら、 悲しかろうが、苦しかろうがたちあがれぇ!!」
今年、冬眠から目ざめた"らいらい"のもとに結集してくれた仲間達の手によって復活する、第7回24時間映画祭。
ボク"しろくま"も一緒に楽しみたいと思ってます。そして、みんなの笑顔に出会えるのを、心から楽しみにしてます!! |